numb with cold
少しだけ後悔をした。
「餌」が生きていると、鮮度の話で言えば極上の部類に入るのだけれど、大体の場合かなり喧しい。
今更ゲニウスの存在を知らないわけでも無いだろうに。
それでも情報網が発達した今、確実にゲニウスの影は薄まり夢幻や御伽噺の類になりさがっている。
餌の供給は秘密裏に、密かに行なわれ、制度化された事実はだんだん一般の人々の脳から消えゆく。
そして真実が明るみに出ても、それは「惨殺事件」として片付けられてしまうのだ。
満月から数日と経っていないある夜。
薄暗い路地に女の高い声が響く。
非常に五月蝿い。
何かを泣き喚いているようだったが、人類の言語からは遠く離れて聞こえるから不思議だ。
「五月蝿いなぁ」
思ったままを呟くと、目の前の女の肩が大げさに震えた。
「いいよ、聞いてあげるから、分かる言葉で喋ってよ」
きょとんとした表情が女の顔に広がる。
直ぐには理解できなかったらしく、言葉が女の口から出るまでに時間がかかった。
頭が悪いのだろうか。
それとも、人間と言うものは脅えると脳内の処理速度が遅くなる生き物なのだろうか。
どっちにしろ、ヒトという生き物は自分にとって食料であり、食料の能の動きなどに興味は無い。
しばらくそんな事を考えていると、ようやく女の口から言葉が発せられた。
「ひ、人を食べるだなんて・・・お、おかしいじゃないの!」
精一杯の虚勢と強がり。
目の前の餌は自分にいつ食われるかびくびくしながら、それでも反抗を続ける。
全くもって愚かしい。
けれど今日は何だか気が向いたので、その戯言に付き合うことにした。
「人間を・・・生きたまま食べるだなんて、そんな野蛮な行為・・・神様が許すはず・・・!」
自分を捕食する物の前に立ち向かうヒトは多くないので何かと思って少しばかり期待していたのに、出てきた台詞はうんざりするほど聞き飽きた、「神様が許さない」というフレーズ。
ヒトの言うところの全知全能の存在らしい、ソレ。
いつから食事にソレの許可が必要になったのやら、甚だ不思議に思う。
「神様、神様って五月蝿いね。まぁ、今はそんな事良いけど。
何、じゃぁ僕が君をこんがりとローストすれば、神様とやらは怒らないのかな?」
女の顔から表情も色も消えた。
「そんなわけ・・・ないじゃない!!!!!私達を食べる事が、間違ってるんだわ・・・!」
怒鳴られた。
何故自分が文句を言われなければならないのだろう。
世間一般で言う、いわゆる逆切れではないかと考える。
この場合、非難される相手が間違ってはいないか。
「キミは、僕たちがキミたちを食べる事がおかしい。
そう言いたいのかい?」
そうよ、と声にならない声がかろうじて聞こえた。
寒さか、恐怖か、女はがたがたと震えている。
「じゃあ僕からも、聞いていい?」
まさか逆に問われるとは思っていなかったらしく、女は後ずさった。
「キミたちは、牛とか豚とか鶏とか様々な種類の動物の肉を食べるけれど、それは誰の許可を得て食べてるの?」
一歩進む。
女は更に一歩後ずさる。
「生のままってさっきキミは言ったけれど、火を通すなんて不気味だとは思わない?」
更にもう一歩。
女も更にもう一歩後ずさる。すぐ後ろはもう壁だ。
「死体を、キミたち人間は当たり前のように焼いたり、煮たりしてるんだよ。そっちのほうがよっぽど悪趣味だと思うけど。
だいたい、火を使って死体を加工して食べる種族なんて、キミたちだけじゃない。
その点僕らは、まぁ原始的と言ってしまえばそうだけれど、火なんて使わないよ。生のままで十分だからね。」
ほら、異常なのは、どちら?
口をパクパクと動かしている女。けれどその口から言葉は漏れてこない。
もう問答も飽きた。
いただきます、と笑顔で呟いて、とりあえず心臓から食べる。
「・・・・・・頭は、いらないなぁ」
この女、五月蝿かったし。
そう呟いて首から上を引きちぎってその場に放置した。
食物連鎖の頂上にいるだなんて、いつの間に人間は勘違いをしたのだろう。
ゲニウスという自分達の存在を、知っているはずなのに、まだ。
いつになればその誤解は解けるのだろうかと考えたが、解けたところで自分には何の得も無い。
むしろその誤解は年々濃くなっている始末だ。
「まぁ、いっか」
一人呟いて、家で待っている菊のために片腕を持って帰ろうと考えて、後は適当に食べ散らかしてその場をあとにする。
次の日の新聞はどれも、「猟奇的」だの「悪魔の所業」だの「惨劇」だのと言う語句を伴い、女が惨殺されたと言うニュースで埋め尽くされていた。
(2008/01/03)