ア・プリオリ
「面白い見世物があるそうだ」
そう言われて連れてこられたのは薄暗い小さな部屋だった。
如何わしい空気はまるで感じられない事から、娼館の類で無い事がわかる。
周りを見渡すと、あまり多くない人々が椅子に座るなり雑談をするなりしていた。
何が始まるのかと不思議に思いつつ、まぁほんの軽い暇つぶし程度にはなるだろうなどと考えているとただでさえ薄暗かった室内の電灯が消え、全くの暗闇が訪れる。
暗闇は一瞬の事で、一箇所にだけ明かり灯った。
それと同時に聞こえだす、奇妙な音。
羽虫が飛び立つような、そんな音だった。
室内が、ざわめく。
それもそのはずで、自分も大層驚いた。
何も無かったはずの壁に、突然動く人影が現れたからだ。
それはどこかの工場の出口のようで、仕事を終えた人々が次々と出てくる。
けれど壁から飛び出してくる事は無く、人の波は続々と四角く区切られた枠の外へ消えていった。
1分ほどだっただろうか。
気付くとそれは終わっていた。
その場に居た皆は呆気にとられ、ただ椅子に腰掛けた人形のようになっていた。
「映写機」と呼ばれた機械のハンドルのようなものを回していた男が説明を始めるまで、誰一人として魂が戻っていないようだった。
真夏の太陽光線を利用している、アーク灯を使用している、光を集めるレンズの役割をしているのは水の入ったフラスコだ。
そんな事を聞いた気がするが、専門用語も多く、原理を理解するまでには至らなかった。
自分をここに連れてきた男はただしきりにすごいすごいと興奮している。
確かに、すごいと思った。
人とは比べ物にならないくらいの長い時を生きてきた自分でも、動く絵は初めて見た。
素直に感嘆する気持ちと、そして何とも言えない気持ちとが心の内でせめぎ合う。
素晴らしいな、と思う自分と、もう少し、と思う自分がいた。
もし、もう500年ほど早くこの機械が存在していたら。
考えても仕方が無い事だと割り切ろうとしても、思考を止めることはできない。
眼を閉じれば昨日の事のように思い出せる、彼女の笑顔。
きっとそれを、この機械の中に閉じ込めておけたのに。
こんな風に彼女の動く絵があれば、ここまで自分は寂しい思いをしなくてもすんだかもしれないのに。
達観したようでいて、実情はまだまだ青い自分に笑うしかなかった。
そういえばフォトグラフが世に出てきたときも、こんな事を思った気がする。
それこそ最近の出来事なのに、あまりの成長の無さに更に笑った。
大丈夫、まだ普通に笑える。
彼女は思い出になってしまったけれど、きっと色褪せることなど無い。
人々の心の中に、強く根付いている。
それだけで、むしろそれはなんと幸せな事だろうか。
映像に残す必要が無いほど、彼女は強く輝いている。
まだ笑いが収まらない自分と、しきりにすごいすごいと言い続けている男という奇妙な二人組みはその場をあとにした。
真っ暗な部屋の中に居たせいか、太陽の光が眼に染みる。
まるで彼女の持つ光のようだ、なんて恥ずかしい台詞が浮かんだ。
「俺ってばなかなか詩人じゃん」
呟いて、また笑って、少しだけしんみりした気分を味わって。
今日の夢には彼女が出てくるだろうか、なんて年頃の少女みたいな事を思いつつ、大量に残っている仕事という現実へ戻る前にカッフェへ寄ってもう少しだけ夢に浸ることにした。
「工場の出口」
1895年世界で最初の本格的な上映映画としてパリで上映された。
仏を映画に誘った男は別に誰とも考えていません。