※日がかなり病んでます。
象牙の塔
日中なのに、酷く暗い。
陽光が差し込んでいないわけではない。むしろ逆で、きっと他人の目には溢れんばかりの光を抱いたこの部屋はとても明るく、暖かく映るだろう。
では、何故自分にはそう感じられないのか。
それは恐らく。
「・・・・・・いったい、何を望んで・・・」
口から出た言葉はあまりにも弱弱しく感じられた。
情け無い事だが、きっと自分は恐怖している。
目の前の見慣れたはずの彼の豹変に畏怖している。
「生ぬるい愛なんて要らない、と。そう申し上げているのですよ」
自分で問いかけたくせに、その返答に一々怯える。
馬鹿馬鹿しい。
けれどそうは思っても、まるで条件反射のようなその反応はどうにもならない。
見え透いた意地をはって虚勢の限りを尽くして、尚も対等であろうとする自分の姿はさぞかし滑稽だろう。
そんな自覚がある分、彼のそのいつもとは違う仰々しい物言いが無性に腹立たしかった。
「ぐちゃぐちゃに、ね」
つと、彼の口をついて出た言葉の意味を理解するまでに、数秒かかった。
頭が追いついていないが、そんな事に彼が構うはずも無く、すらすらと言葉を並べる。
普段感情を露にすることのない相手が、苛立たしげに、そしてどこか楽しげに話す姿を見て、背筋に冷たいものが走った気がした。
「ぐちゃぐちゃにして欲しいんです。
立ち上がれないくらいなんて生温い。
二度と光の差すほうへ向かえない位、再起不能にして欲しい」
それが貴方様にお出来になりますか?
酷く歪んだ笑みで言われた。
挑発しているのだと、分かった。
彼の口から望みらしい望みは終ぞ聞いたことが無かった上に、初めて耳にしたその願望があまりにも常軌を逸していた事に、驚きとそして何とも言えない感情とが胸中を埋め尽くした。
一瞬昔の自分が脳裏をよぎり、かつての『太陽の沈まない帝国』に対して行った仕打ちの一つでも試しに行ってみればさぞかし喜ぶのではないかと思われた。
しかし、もう自分は昔の自分では無い。
時の移り変わりとともに、昔は素面で出来た事が今は酷く厭われるようになった。
変わってしまったのだ。
良い意味でも、悪い意味でも。
そしてそんな自分が、ことさら彼には態度が甘いと囁かれている自分には、彼に対して酷い仕打ちを行う事が出来無い事など解りきっている。
「・・・・・・俺には、・・・できない・・・」
やっとの事で搾り出した声は更に弱って、冷ややかな彼の視線の前で輪郭を保つことなく消えた。
脅える自分を叱咤して覘き見た彼の瞳に感情は無く、ただその冷たさだけが存在を訴えていた。
「存じておりますとも」
不愉快な、笑顔だった。
憤りと愉悦と悲愴とを鍋に放り込んでぐちゃぐちゃとかき混ぜたような、そんな笑顔を彼は顔一杯に湛えていた。
「貴方様には何一つ望んでなどおりませぬから、どうぞ御安心を」
どこか突き放した感じのする態度で吐き捨てた彼は、依然として不愉快な笑みを湛えたまま踵を返す。
彼は振り返ることも無く、くすくす、と平素聴かれることの無い少し薄気味悪い含み笑いを残しながら去って行った。
結局自分は追いかける事もできず、その背に声すらかけられなかった。
相変わらず部屋の外は眩しかったのに、目の前はいつまでも暗いままだった。