コンタクトレンズというものが普及した。
少し前までは眼鏡すら裕福な階級にしか許されなかったものである。
それが今や、直接目に入れて使用する視力矯正具まで一般市民の間に流通しだした。
文字や景色がよく見えるということは、喜ばしい事だ。せっかくこの地に産まれたからには、自分が生きて、そして逝く世界をその目に焼き付けることくらいは誰にも文句を言わせる事は出来ないはずだ。
しかし、ここで問題が一つある。
客観的に見れば、それはたいしたことはないのかもしれない。けれどどんな出来事もいつだって当事者には大問題だ。
ここで言う、俺の大問題とは、そう、コンタクトレンズの事である。
あの薄いレンズは、完全なる透明ではなく、若干青みを帯びていることをご存知だろうか。青だけでなく、桃色のものもある。あの色は本当に透明度が高く、コンタクトを装着したとて視界が色を帯びるわけでもなければ、見た目に色が変わるわけでは無いので何の問題も無い。
だが人間の歴史とは目まぐるしく変化し、昨日無かったものが今日存在するという毎日である。生活に役立つものは勿論刻々と増えて行くが、それと供に娯楽の品も大量に増えて行く。
何を作ったとしても自分達で使うものだし、文句を言うつもりも権限も無い。それでも、歎きたくなることは時に多々存在しないだろうか。
誰が何の目的で、何を思ってそれを作ったかなどこの際関係が無い。俺にとって問題なのは製作サイドではなく使用者の意図なのだから。
何度目か分からないその姿を見た時、俺はこのやり場の無い思いをどこにぶつけてやろうか思案するので精一杯だった。
「ギル!」
ふわふわと何か暖かな香りが鼻をくすぐりそうな長い榛の髪。華奢な体を包む、甘いラインの春色のワンピース。足元には、無骨な自分の指が触れた瞬間に崩れてゆきそうな繊細な造花をあしらった淡いミュール。しつこくない程度に施された化粧は桃色のグロスがアクセント。
そしてそれらを引き立てつつもあまりある可愛いらしさと美しさの混在するボディバランス。
並んで歩けば幾人もが振り返る、極上のルックス。
神様は、どこで何を間違えたのだろう。
満面の笑みで俺を呼ぶそいつは、正真正銘の男だった。
「待った?」
どこから出しているのかといつも疑問に思う、高い声。普段の声とは異なり、非常に姉に似ている。容姿もそっくりで、自分が今どちらと行動しているかをほんの数瞬ではあるが錯覚させられたこともある。
とりあえずその男か女かよく分からない生き物に手を取られ、いつの間にかお洒落なカフェのテラスへと移動していた。
「何で黙ってんの、ギル」
見つめてくる顔は、嫌になるくらい姉にそっくりで。
「・・・別に」
けれど、いつもなら片方だけ違うその目の色すら今日は同じだ。
わざわざ、変える必要なんてどこにもないのに。
「・・・・・・目、何でカラーコンタクト入れてるんだ?」
尋ねるときょとんとした表情で見つめ返された。何を言っているのか分からないという顔である。
「だって、こうしたら姉ちゃんそっくりだろ?」
そっちの方が嬉しいんじゃない、と無邪気な笑顔で返された。
やはり、気に入らない。
「・・・・・・馬鹿だ」
こっそりと呟いた言葉は彼の耳には届かなかったようだ。
まあ、何を言っても彼は聞きそうには無いのだけれど。
とりあえず愚痴は自分の心の奥に留めて1日だけ彼に付き合う決意をした。
こんなにも俺がオマエに惹かれていることに気付かないオマエは馬鹿だ。
2008/02/29